1.「誓詞」
今日一日 怒らず 怖れず 悲しまず
正直 親切 愉快に
力と勇気と信念とをもって
自己の人生に対する責務を果たし
恒に平和と愛とを失わざる
立派な人間として生きることを
自分自身の厳かな誓いとする。
2.「朝旦偈辞(甦えりの誦句)」
吾は今、力と勇気と信念とをもって甦えり、
新しき元気をもって、正しい人間としての本領の発揮と、その本分の実践に向わんとするのである。
吾はまた、吾が日々の仕事に、溢るる熱誠をもって赴く。
吾はまた、欣びと感謝に満たされて進み行かん。
一切の希望、一切の目的は、厳粛に正しいものをもって標準として定めよう。
そして恒に明るく朗かに統一道を実践し、
ひたむきに人の世のために役だつ自己を
完成することに努力しよう。
3.「活力吸収法(プラナヤマ)の誦句」
神韻縹渺たるこの大宇宙の精気の中には、吾等人間の生命エネルギーを力づける活力なるものが、隈なく遍満存在して居る。
今私はプラナヤマ法と称する特殊の密法を行い、この活力を、五臓六腑は勿論四肢の末端に至るまで、深甚なる感謝をもつて思う存分吸収しよう。
4.「力の踊句」
私は力だ!力の結晶だ!
何ものにも打克つ力の結晶だ!
だから何ものにも負けないのだ!
病にも、運命にも、否、
あらゆるすべてのものに打克つ力だ!
そうだ!強い強い力の結晶だ!
5.「思考作用の誦句」
吾は今 宇宙霊の中に居る。
吾は又 霊智の力と倶に居る。
そもそも宇宙霊なるものこそは、万物の一切をより良く作り更えることに、常に公平なる態度を採る。
そして 人間の正しい心 勇気ある心 明るい心 朗らかな心という積極的の心持で思考した事柄にのみ、その建設的なる全能の力を注ぎかける。
然り而して、かくの如くにしてその力を受入れしものこそは、またまさしく力そのものになり得るのである。
6.「人間本質自覚の誦句」
人は万物の霊長として、宇宙霊のもつ無限の力と結び得る 奇しき働きをもつものを、吾が心の奥に保有す。
かるが故に、かりにも真人たらんには、徒らに他に力を求むる 勿れである。
人の心の奥には、潜在勢力という驚くべき絶大なる力が、常に人の一切を建設せんと
その潜在意識の中に待ち構えて居るが故に、如何なる場合に於ても 心を虚に気を平にして、一意専心 この力の躍動を促進せざるべからず。
7.「言葉の誦句」
私は今後かりそめにも 吾が舌に悪を語らせまい。
否 一々吾が言葉に注意しよう。
同時に今後私は最早自分の境遇や仕事を、消極的の言語や悲観的の言語で、批判する様な言葉は使うまい。
終始、楽観と歓喜と、輝やく希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。
そして宇宙霊の有する無限の力をわが生命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を建設しよう。
8.「大偈の辞」
あゝそうだ!!
吾が生命は神仏(宇宙霊)の生命と通じて居る。
神仏の生命は無限である。
そして不健康なるものや不運命なるものは、神仏の生命の中には絶対にない。
そしてその尊い生命の流れを受けて居る吾はまた、完全でそして人生の一切に対して絶対に強くあるべきだ。
だから誠と愛と調和した気持と、安心と勇気とで、ますます神仏との結び目を堅固にしよう。
9.「運命の誦句」
およそ宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情で その通路を開かれると同時に、人の生命の上に迸(ほとばしり)り出でようと待ち構えて居る。だから平素出来るだけ何事に対しても、感謝と歓喜の感情をより多くもてば、宇宙霊の与えたまう最高のものを受けることが出来るのである。
かるが故にどんな事があっても、私は喜びだ 感謝だ 笑いだ 雀躍だと、勇ましく溌剌と人生の一切に勇往邁進しよう。
10.「統一箴言」
人の生命は、宇宙の創造を司どる宇宙霊(神仏)と一体である。
そして人の心は、その宇宙霊の力を 自己の生命の中へ思うがままに受入れ能う働きをもつ。
然もこうした偉大な作用が人間に存在して居るのは、人は進化の原則に従い、神と倶に創造の法則に順応する大使命を与えられて居るがためである。
私は心から喜ぼう この幸いとこの恵みを!!
私は今人の世のために何事をか創造せんと欲する心に 燃えて居る。
そしてかくの如くに心を燃やして居れば、いつかは 神は私に何を為すべきかを教えたまうに きまって居る。
私は今、私の生命の中に、新しい力と新しい元気とを感じる。
私は今、心も肉体も新生しつつあるのである。同時に私は今、限りなき喜びと輝やく希望とに雀躍する。
それは私は今 神の叡智を真実に自分の生命の中に受入れる秘訣を会得したからである。
それ故に私の創造の力は 最も旺盛で且つ完全である。
従って私の人生は昨日までの人生でなく、溌剌とした生気が溢れ、敢然とした勇気で漲って居る。
そして何事をも怖れず、また何ものにも怯まず、人生の一切を完全に克服し、只一念神の心と一体化して汎(あまね)く人類幸福のために、創造に勇ましく奮闘せんとするのみである。
11.「信念の誦句」
信念 それは人生を動かす羅針盤の如き尊いものである。
従って 信念なき人生は、丁度長途の航海の出来ないボロ船の様なものである。
かるが故に私は真理に対してはいつも純真な気持ちで信じよう。
否、信ずることに努力しよう。
もしも疑うて居るような心もちが少しでもあるならば、それは私の人生を汚がそうとする悪魔が、魔の手を延ばして私の人生の土台石を盗もうとして居るのだと、気をつけよう。
12.「坐右箴言」
私は最早何事をも怖れまい。それはこの世界並に人生には、いつも完全ということの以外に、不完全というもののないよう 宇宙真理が出来て居るからである。否、この真理を正しく信念して努力するならば、必ずや 何事と雖(いえど)も成就する。
だから今日からは如何なる事があっても、又如何なる事に対しても、かりにも消極的な否定的な言動を夢にも口にするまい又行うまい。
そしていつも積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。
同時に常に心をして思考せしむる事は、人の強さと真と善と美のみであるよう心がけよう。
たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。
たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。
否一切の苦しみをもなおたのしみとなす強さを心にもたせよう。
神と直接結ぶものは心である以上、その結び目は断然 汚がすまい事を、厳そかに自分自身に約束しよう。
13.「恐怖観念撃退の誦句」
人の心霊が宇宙の神霊と一致する時、人の生命の力は 驚嘆に値いする強さをもつに至る。
しかもこの尊厳なる宇宙の神霊と一致するには、第一に必要な事は心の安定を失うてはならぬことである。
そして心の安定を失うことの中で、一番戒むべきものは 恐怖観念である。そもこの恐怖なるものこそは、価値なき消極的の考え方で描いて居るシミだらけな醜い一つの絵のようなものだ。
否 寸法違いで書いた設計である。
かるが故に、今日から私は断然私の背后に、私を守り給う宇宙霊の力のあることを信じて、何事をも怖れまい。
否 人が常にかくあることを心がくるならば、必然 人生に恐怖に値いするものが無くなるからである。
故に健康は勿論 運命の阻まりし時と雖(いえど)も、本当に私は私の背後に、私を守り給う宇宙霊の力のあることを信じて、何事をも怖れまい。
14.「不幸福撃退の誦句」
私はもう何事が自分の人生に発生しようと、決して徒(いたず)らに心配もせず、又悲観もしないように心がけよう。
それは徒らに心配したり悲観したりすると、すればする程その心配や悲観する事柄が、やがていつかは事実となって、具体化して来るが故である。
神仏と名づけられて居る宇宙霊なるものの心の中には、真善美の以外に心配や悲観というような消極的の心持は夢にもない。
私はその神の心と通じて居る心をもつ万物の霊長たる人間である。
従って私がこの自覚を明瞭にした以上は、下らぬ事に心配したり、悲観したりする必要は更にない。
人はどこまでも人としての面目を発揮せぬと、人間の第一つらよごしである。
人間が人間らしくある時にのみ、人間の恵まれる幸福を享け得る。
だから私は神の心と神の力に近寄るために、心配や悲観という価値なき事を断然しないことにする。
そして真理に則した正しい人生に活きよう。
15.「勇気の誦句」
自分はこの世に作られたものの中で、一番優秀な霊長と言われる人間ではないか。
しかも人間の心の力は、勇気というものでその圧力を高めるのが、人の生命に与えられた宇宙真理である、だから今日からの自分は、如何なる場合にも断然勇気を失(うしの)うことなく、特に自己の本能や感情の中で、自他の人生を泥ぬるが如き価値なき低劣な情念が発生したら、それに立派に打ち克ち得る強い心を作るために、大いに勇気を喚発することに努めよう。
そうだ 終始一貫 勇気勇気で押し切るのだ。
16.「想像力の誦句」
私は今正に喜びと感謝に満たされて居る。それは神は人間の心の中に、想像という特別の作用を賦与して下されて居るからである。そして神は、常に吾々を吾々の想像する観念通りの世界へと、真実に導き入れるべくその準備を尽されて居る。
だから心して想像の作用を正確に応用すれば、それはとりもなおさず 幸福の楽園へのよき案内者を作ったのと同様である。
かるが故に、私は能う限り可能的で高級なる想像の絵を心に描こう…ハッキリと明瞭に…但しどんな事があっても、夢にも自分の生命を腐らし泥ぬる様な価値のない事は想像するまい。
そして神の定めた約束通り、その想像の中から正しい人生建設を現実化する気高い理想を作り上げよう。
17.「理想の誦句」
人の生命は常に見えざる宇宙霊の力に包まれて居る。
従って宇宙霊のもつ万能の力もまた、我生命の中に当然存在して居るのである。
故に 如何なる場合にも また如何なる事にも、怖れることなくまた失望する必要はない。
否 この真理と事実とを絶対に信じ、恒に高潔なる理想を心に抱くことに努めよう。
さすれば 宇宙真理の当然の帰結として、必ずや完全なる人生が作為される。
今茲(ここ)にこの天理を自覚した私は、何という恵まれた人間であろう。
否 真実 至幸至福というべきである。
従つて只この上は、無限の感謝をもつてこの真理の中に安住するのみである。
18.「一念不動の誦句」
私は私の求る処のものを、最も正しい事柄の中に定めよう。
そしてそれをどんな事があっても、動かざること山の如き磐石の信念と、脈々として流れ尽きざるあの長い川の如く、一貫不断の熱烈なる誠をもって、その事柄の実現するまで些かも変更することなしに、日々 刻々 ハッキリと心の中に 怠りなく連想して行こう。
丁度 客観的に看察するが如くに……
私は最早、消極的の思想や観念や又は暗示に感じない。
またそうしたものは私を動かすことは出来ない。
私は断然そうしたものより、より以上のものである。
私は最早、あらゆる人生の中の弱さと小ささとを踏み越えて居る。
そして 私の心は今絶対に積極である。
おゝそうだ、私の心は勇気と信念とで満ち満ちて居る。
従って私の考え 私の言葉、それは何れも颯爽としていつも正義である。
だから 私には人生のあらゆる場面に奮闘し得る強い強い力が溢れているのだ。
そして私の人生はどんな人の世の荒波に脅かされても、あの大岩の上に屹然(きつぜん)として立つ燈台のように、平静と沈着と平和と光明とに 輝やき閃(ひらめ)いて居るのだ。
19.「修道大悟の誦句」
そもさん 吾等かりそめにも天地の因縁に恵まれて、万物の霊長たる人間としてこの大宇宙の中に生れし以上、先づ第一に知らねばならぬことは、人生に絡まり存在する 幽玄微妙なる宇宙真理なり。
誠やこの自覚を正しく厳かになし得なば、敢て求めずとてもその身を健やかに、その運命を和やかにするを得ん。これぞ正に千古昭(せんこしょう)として 耽存(じんぞん)する尊厳侵すべからざる人生の鉄則にして、また神(かん)ながらに定められたる動かすべからざるの天理なり。
しかも心より喜ばんかな、吾等今や正に雀躍する感激に咽(むせ)びつつこの妙諦とその手段とを知れり。
あゝこの幸い この恵み! そも何をもつてかたとえん。
顧みれば、転々として人生の悶えと悩みに 苦しみしこと幾年月!!・今やわれ茲(ここ)に豁然(かつぜん)として 無明の迷いより覚め、自覚更生の大道に入るの関門に立ち、心眼既に開けて行手に栄光燎乱たる人生を望み得し今日、吾が心はただひたすらに言い能わざるの 限りなき欣びに勇みたつ。
出典:天風誦句集(黒)