代表プロフィール


1975年 滋賀県高島市生まれ

1994年 高島高校卒業

1998年 京都産業大学経営学部卒業

1998年 野村證券入社。福山支店、渋谷支店、調布支店、福岡支店で約12年、個人・  法人の資産運用コンサルティング業務に従事。

2008年 上原企画株式会社設立(現・証券ライフ株式会社)

2009年 自然食レストランを開業するため野村證券を退社。

2010年 京都で自然食レストランをオープン。

2011年 金融商品仲介業の免許を取得し、資産運用コンサルティング業務を開始。

2012年 株式セミナーを開催

2014年 自然食レストランを売却し、金融商品仲介業に集中。

2015年 証券ライフ株式会社に商号変更




誕生~学生時代

小学校の帰り道、一人、田圃や川の流れを見ながら歩いていた光景が今でも鮮明に思い出されます。

私は滋賀県高島市という人口5万人ほどの田舎町で生まれました。男三人兄弟の真ん中で、大自然の中で好奇心旺盛な子ども時代を過ごしました。

 

子どもの頃から色んなことに熱中する性格で、小学校の頃はプラモデル、ラジコン。中学校の頃は、琵琶湖でバス釣り。高校ではファッションとバンド。大学ではアルバイトに大半の時間を費やしました。

初めてのアルバイトは中学校の時。真夏のスイカ運びのバイトで、時給は確か600円でした。高校のときは、工事現場と電気工事。大学時代は宝ヶ池プリンスホテルの宴会サービスとパチンコ店。麻雀にもはまりました。

大学2年の時、バイト先の友人が私に大きな影響を与えてくれました。彼は私より3つ上で、麻雀をしながら中国の古典の話をよくしてくれました。彼は松下政経塾の京都校に通っていて、政治や経済にも詳しかったのです。

彼の影響で私は松下幸之助発言集を10巻買い求め、その考え方に深く感銘を受けました。同時に日経新聞も取り始めました。彼との出会いがなければ今の自分はないと思います。

 

また、大学3年の時に大阪のベンチャー企業が学生インターンを2名募集という記事を見つけました。応募をしたところ、たまたま採用され、2週間でしたが勢いのあるベンチャー企業の熱気を感じることができました。この時の経験も私の大きな土台になっています。

 

就職活動は、将来独立したいという思いがあったので、その勉強にと証券会社・銀行・ベンチャー企業に絞りました。野村證券と三菱UFJ銀行の最終選考に残りましたが、野村證券に決めました。それは、野村のリクルーターの人柄に惚れたからです。本当に熱い人でした。こんな人が居る会社で仕事がしたいと思いました。

 

野村證券時代と多くの出会い

いざ、野村證券に入ると仕事はきついけれど、それ以上にやりがいがありました。やればやるだけ認められ、やらなければ罵られ、干される。そういう意味で野村はとてもフェアな会社です。学歴も関係ない。私の社会人としての土台を作ってくれた野村證券と先輩諸兄には感謝の思いでいっぱいです。

 

初めて配属された所は、広島の福山支店でした。初めての土地です。この新人時代の2年半が、今の私の仕事のやり方の礎になっています。

 

また、おもしろい人生を歩むきっかけになった先生との出会いも福山支店時代でした。

先生は、野村證券の入社2年次の研修で講師として来られました。「ハガキを書くとお客さんが増えて、人生も豊かになるよ~!」というお話をされましたが、強烈な印象があり、講演後に名刺交換させて頂きました。

 

中村天風先生
中村天風先生

その研修の数ヶ月後、広島で“中村天風先生”の最後の弟子「佐々木将人」氏の講演があると知り、参加しました。

中村天風先生の本とは大学卒業前に出会い、仕事で苦しいときに天風先生の言葉に何度も勇気づけられました。それで天風先生は生前どんな方だったのか、お弟子さんから直接伺ってみたかったのです。

 

その講演で上記のハガキの先生の読書会があると知り、参加し、先生と再会しました。

先生のご自宅は広島の山奥にあるのですが、いろんな勉強会を企画されていて全国から人が集まってきます。先生は体が弱かったので、健康のために40年近く玄米菜食を続けており、私も自分の体を実験台に自然食の色んな食べ方を実践し、食べ物の大切さを学びました。この学びが、後に自然食カフェを始めるきっかけになりました。

 

さて、福山支店では、1年目は全くだめだったのですが、2年目から新規開拓の面白さに気づきました。自分で1000件の新規開拓リストを作り、毎日100本近い電話外交をしたり、飛び込み外交をしていました。やればやるほどお客様が開拓できたのでとても充実していました。お客様から新しく預けて頂いた資産も12億を超え、やる気で満ちていました。

そんなとき、福山支店から渋谷支店へ転勤の辞令が出たのです。まだ福山支店で営業を始めて2年半でしたので、急なことでびっくりしたのを覚えています。

 

渋谷支店では、引き継ぎがほとんどありませんでした。3人の先輩から多少口座を引き継ぎましたが、主力となって頂けるお客様はゼロでした。またゼロに近い状態からお客様を開拓しなければなりません。入社3年目であったので営業数字も求められます。その間でもがき苦しみました。この渋谷支店時代は、野村時代で一番仕事ができなくて、苦しい時期でした。

 

そんなとき、東京の調布に新しく支店を作るのでその支店開設メンバーとして行きなさいという辞令が出ました。

 

渋谷支店で成果を出せなかった事が心残りでしたが、心機一転やりなおそうと決めました。

その調布支店で、厳しいけれども愛がある素晴らしい上司と出会い、営業マンとして生まれ変わりました。 調布支店では、3年半の間に約40億の資産を集め、大きな成果を残すことができました。

 

そして、全国トップクラスの福岡支店へ転勤になり、福岡で丸4年過ごしました。  

そこで過去最高の成果を出すことができました。

野村證券での仕事は充実していましたが、何か違うと感じ、次の道を模索するようになりました。

それで、会社が休みの日にはいろんな勉強会に出たりしていました。

SMIという成功哲学の教材を買い、その会の勉強会に出たり、ATSという人材教育の会社のトレーニングに通ったり、座禅断食や勉強会で広島にも定期的に通っていました。

 

突然の別れ…うつ病を克服

そんな中、人生が暗転する出来事が起こりました。

 

当時、結婚する予定で付き合っていた女性が居たのですが、彼女から妊娠したことを知らされ、結婚を早めることにしました。 彼女は当時、東京海上火災に勤めていたのですが、一般職から入って初めて営業職になった女性として会社から期待されていました。 彼女が上司に妊娠と結婚の報告をした所、何か大事なプロジェクトが進んでいたようで、「こんな大事なときにどうするんだ?」と怒られたそうです。「おめでとう」と言ってもらえると思っていたのにと彼女は悩み、鬱になりました。その上司は今なら、マタハラで完全にアウトでしょう。

 

その後、彼女の鬱はどんどんひどくなっていき、私の言葉も受け入れてもらえなくなりました。 結局、子供も堕胎して、結婚も白紙にしてほしいと言われ、私はなすすべもなく、「わかった」としか言えませんでした。

 

自分ではどうしようもできないことに直面し、何かが壊れ、暗闇の中に放り出された気持ちでした。 それで、夜眠れなくなりました。仲の良い開業医のお客さんに相談したところ、「それは軽い鬱だよ」と言われ、薬を処方されました。

 

私は、自然食の勉強をしていたので、薬は飲まないようにしていました。

せっかく処方してもらった鬱の薬は捨て、自然療法で治すと決めました。

 

まず、中村天風先生の本に呼吸の大切さが書かれていたので、深い呼吸をすることを心がけました。実際、鬱の時は呼吸が浅かったと思います。

そして、太陽に当たると良いとあったので、人気の少ない山の上の公園で上半身裸になって太陽をいっぱい浴び、呼吸法を行いました。

 

友人や家族にも励まされ、そんなこんなで鬱は1ヵ月ほどで克服しました。

 

よし、もう会社を辞めよう!

「さて、これからどうするか?」野村でもっと成果を残してから辞めようと思っていましたが、こんな出来事があり、人生何があるかわからないなと感じていました。人生一度きり、独立を考えるようになっていました。

そんな時、広島時代から10年近く親交のあった社長から手紙が来たのです。その社長にはお会いするといつも「上原さん、早く独立した方いいよ。」と言われていました。

 

手紙の内容はこんな感じでした。

 

「そのうち そのうち と言っているうちに年を取っていく。そのうち、お金が貯まったら。そのうち、結婚したら。そのうち、家を建てたら。そのうち、準備ができたら。そのうち、そのうちと言っているうちに時間だけが過ぎ、死んでいく。」

 

 

その手紙を何度も読み返し、いろんなことがリセットされた今、「もう会社を辞めよう!」と決めました。

 

さて辞めるにしても、何をするか? 休日にノートに向かって、自分のやりたいことを整理してみました。 以前、証券の仕事での独立を考えていたので、金融商品仲介業が一つ。 コンサルタントが一つ。いや待てよ。世の中に必要なのは本物の「食」じゃないか、今まで学んできた玄米菜食の考えを生かす時だ。玄米を出す飲食店をやろうと決めました。

SMIの勉強会で知り合った友人に独立する話をしたところ、彼も一緒にやりたいというので、それじゃ一緒にやろうということになりました。

しかし、私は玄米菜食に関しての理論は学んでいたのですが、本格的な料理は作れませんでした。それで、料理できる人を探していました。 

 

そんなある日、友人がベジハンバーガーのお店で仲間と談笑していると、突然見知らぬ女性が名刺を持ってきて、話の仲間に加えて欲しいと言ってきたそうです。

彼女は食の安全について伝えるランチ会を主催していて、是非一度ランチ会にと招待されたそうです。

 

友人がそのランチ会に行く予定だったのですが、急用で行けなくなり、代わりに私が行くことになりました。

参加してみると9割が自然食が好きそうな女性で、スーツ姿の私は完全に浮いていました。昼休みを利用して参加していたので、食事後、感想を発表して途中で帰りました。

 

実は、そのランチ会で料理を作っていたのが、今の私の妻なのです。 

 

 

 

自然食カフェの経営

結局、福岡で友人と一緒にやることは諦め、妻と二人で私の故郷の滋賀に戻りました。

最初は滋賀で飲食店を始める予定でしたが、田舎すぎて自然食の店はお客さんがあまり来ないだろうと、京都で物件を探していました。

たまたま長岡京市で家付きの店舗物件が見つかり、そこでお店をオープンすることにしました。

 

お店を始めたのは良かったのですが、最初の2年は本当に大変でした。玄米菜食は、関心のある方は多いのですがなかなかお客さんが増えません。ランチ営業がメインだったのですが、お客さんが2、3人の日もありました。

そんな日は、玄米のおむすびとお弁当、スコーンを手作りカートに積んで京都の中心部を売り歩きました。その時買ってくださったお客さんがお店に来て下さったり、スコーンの注文を定期的に下さったりしました。

 

なんとかしないといけないと、お店の通信を作って新聞折り込みやポスティング、ブログで発信などを繰り返していきました。すると、少しづつ効果がでてきました。

 

メニューも今まで玄米菜食にこだわっていたのを改め、質のいいお肉やお魚を使ったメニューも加えました。

 

お客様のニーズにお応えするというものが中心でしたが、食について深く研究していくうちに、玄米や菜食の弊害に気づいたのです。

 

ちょうどそんな時、京都で有名な雑誌「Leaf」から「お店を雑誌に掲載したいので、取材に伺いたい」と連絡がありました。この雑誌掲載がとても大きく、じわじわとお客さんが増えていき、お店の売り上げも安定していきました。

 

時は来た、独立証券マンへ

お店をやりながら、このままではいけないと常々考えていました。仲の良いお客さんからも、「あなたには素晴らしい能力があるんだから、それを活かせる仕事をした方がいいよ。」と言われることがありました。

 

そんな時、独立前に相談していた方から「今、別の証券会社に移って、部長として金融商品仲介業の立ち上げを行っているので挨拶に伺いたい」と連絡がありました。その後、部長が役員を連れて、京都のお店に来られ、一通りお話を伺いました。

 

その部長はおだやかで誠実な信頼できる方でした。

その時は民主党政権下で日本株相場も低迷していたので、まず、金融商品仲介業の免許を取っておこうと、部長にご協力頂き2011年に金融商品仲介業の免許を取得しました。

 

2012年に自民党政権が始まるまではそれほど営業活動はしていなかったのですが、毎日、日経新聞を読みながら銘柄研究は続けていました。

しかし、安倍政権に変わったときに、「相場が変わる!」と感じました。小泉内閣のときの相場、まさに郵政解散の頃の雰囲気と似ていると感じました。

 

それで急きょ、私のお店で株式セミナーを開催することにしました。

その時日経平均は9000円で、ドル円は90円でした。セミナーの中で、この2年~3年で日経平均2万円、ドル円120円という予測を出しました。

 

その時提案した銘柄「全国保証」は2年で8倍近くになりました。

 

 

【7164 全国保証】月足チャート(5年間)
【7164 全国保証】月足チャート(5年間)

その後、東京の野村時代のお客様に連絡したところ、「上原君を待っていたんだよ」という方が何人もいらっしゃり、再び私とお取引してくださるようになりました。お客様のお話を伺うと、私から担当が変わってから数千万円損をしたという方が何人もいらっしゃり、やるせない気持ちになりました。私がずっと担当させて頂いていれば、こんなことにはならなかったのにと。

よし、本当にお客様の立場に立って本格的に活動していこう、と動き始めました。

 

そして、2014年夏に自然食レストランを売却、金融商品仲介業に専念することにしました。

 

独立した今は一生涯お付き合いできるので、お客様に良いものだけをご提案しています。

 

 

本質は何なのか?

私の拙い歩みを振り返りますと、常に真実は何なのか?本質は何なのか?ということを考えながら、動いていたように思います。

 

私のコラムではお世話になった野村證券を批判することも多々ありますが、それはお世話になった会社だからこそ良くなって欲しいという思いがあるからです。また、金融機関や商品に対して批判的なことを書くこともありますが、それは金融業界全体をより良くしたいという思いから出てきた私の意見なのです。

 

もちろん私も完璧な人間ではありませんから、相場予測を外すことも、間違うことも多々ございます。ご迷惑をお掛けすることもあると思います。

 

しかし、私を信じて付いてきてくださっているお客様の期待に応えられるように、常に自分を磨き、自分が良いと信じた方向に進んで行きたいと思っております。