真理行修誦句集(緑) 中村天風(著)

「自我本質の自覚」

 

そもや真我の真相は 水火侵(おか)し能(あた)わざるの絶対にして、また不朽(ふきゅう)不滅の実在なり。

人もしこの信念に真に安定(あんじょう)するを得ば、肉の呵責も 人の世の非業(ひごう)も 夢幻の如くに消え失せて、無限至上なる歓天喜地の世界現われん。

 

 

「心身の完成」

 

それ人の本体は肉身にあらず また心にもあらず。

絶対にして不変また不朽不滅なる霊魂なり。

然るに人の多くは、この荘厳なる消息を悟る能(あた)わず、徒(いたず)らに肉身または心を人の本体なりと思い惑う。

そもや仮相は実相の姿にあらず。

またその本質の現われにもあらず。

身といい心と称するものは、真我の命が現象の世界に活きゆくための一切方便を行わんがための命への要具なれば、ただこれを巧みに調整行使して、ひたすらその性能の完全なる発現を促進せざるべからず。

知らずや たとえ名工名匠といえども、その用具の 全きものなくば 恰(あた)かも腕なきに等し。

さればわれ人ともに、真にその人生に安定(あんじょう)せんには、ただ一念わが命の要具たるこの仮相の存在を、より良く全からしむることを心がけざるべからず。

かくして初めて人としての正しき幸いをうくることを得ん。

悟らざるべからず 勉めざるべからず。

 

 

「意志の煥発」

 

宇宙の原則 進化向上に順応するには、常に自分の知識と能力との最善を尽くし、たとえいかなる仕事に対しても自分の為さねばならぬ義務を遂行し、他人に迷惑をかけず、あらゆる誘惑や困難に負けないで 活きるのが、永遠不変の人生真理である。

そしてこの人生真理を現実化するには、真我の所有である自己の生命を支配する最高の権能をもつ

意志を煥発することである。

従ってこの侵すべくもあらぬ尊厳なる主体性を、瞬時といえども 疎かにすべからず。

 

 

「心の鍛錬」

 

神は吾人人類に 鍛錬すれば必ず鉄をも切るべき精鋭なる切れ味凄き名剣を与えている。

されどこれを名剣となすも、また邪剣となすも、所詮はその人々の鍛錬のいかんにあるがゆえ、心に心して丹念鍛冶この業物を伝家の名刀として作り上げねばならぬ。

そしてひたすらに 神の御旨(みむね)に答え奉るようにすべしである。

またもし誤って鍛冶宜(よろ)しきを得ざれば、この剣は却って身を滅ぼすの邪剣となり、あらでもがなの結果を来たさん。

およそ覚者大哲の人というは、ただこの消息に 目ざめて精進彼岸に入りし人々のことなり。

また凡下凡俗の輩というは、この名剣を鍛え誤りし結果 邪剣となして抱き苦しみ悩むものをいう。

かるが故に かりにも修道の人は、ただ何事にも 一念集中してわが心を鍛冶し、神のくだし賜える

利剣の真価を発揮せざるべからず。

 

 

「官能の啓発」

 

およそ人にしての完全領域に到達せんには、先ずその官能を常に営々として啓発し、これを無欠完全に作り上げることがこれその第一歩なり。

誠や官能にして無欠完全たらんか、やがては自由にそして正確に自己を統御し得る、

雄大荘厳な人生の殿堂を築きあげる崇高なる技術者たることを得ん。

されば官能の啓発こそは、珠玉を磨きて光あらしむるに等しく、夢寝瞬忽(むびしゅんこつ)の間(かん)といえどもこれが万全を期成し怠るべくもあらず、ただひたむきに励まんかな。

 

 

「心の開拓」

 

世の人の多くは 自己の心の一部をもって自己の心の全体と思う。

そのため知らず識(し)らず真我の偉大な力を窘束(くんそく)している。

しかもこれひとえに意識に関する理解に欠ける処があるために外ならない。

さればわれらはただ一念 この真理に則して心の開拓に努力し、ひたすらに真我の表現たる霊性の発現をもって本願となすものなれば、頼みがたき理知のみに、貴重なる心業(しんぎょう)の一切を委ねるべからず。

およそ自己の有する心なるものは、現在の自己の理知が考えるところよりも、遥かに広大にしてまた無辺のものなれば、心に心してこの広汎領域を開拓し、尊厳なる意志をもってその一切領を主宰統一すべし。

叩かざれば空しく霊門の扉は固く閉ざされて、永遠に開かれざるべし。

叩けよ さらば開かれん。

 

 

「霊性の発揮」

 

およそ人間の心の奥には 幽玄微妙 はたまた端倪(たんげい)し能(あた)わざる一大心界あり。

しかもこの心界は宇宙創造の力と通じ、常に自己を授(たす)け 自己を擁護する責務を行う。

さるにても無明なるかな 人々の多くはこの崇高なる心界が、わが命の中に在りとしも気づかず、徒(いたず)らに心の一部に存在する低劣なる心意にのみあたら貴重なる人生を委ぬるがために、心ならずも価値なき苦しみと悶(もだ)えとを招く。

須(すべか)らく問えよ また訊(たず)ねよ 一切を魂の囁(ささや)きに。

そもやわれとは心にもあらず 肉身にもあらず、唯一にして絶対なる霊魂なり。

心といい 肉身というも、そは所詮(しよせん)わが本体たる霊魂の要具に過ぎざれば、徒らに益なき煩悩に執着して、低劣なる心を夢にも躍らすこと勿れ。

無礙にして始めて自在なることを得ん。

されば常に心境止水わが本性の固有する霊性発揮に努めなば、固く閉ざされし霊門の扉はやがて内より静かに開かれ来たり、いみじくもわが意識の心耳に、妙(た)えなる魂の囁きを尊くもまた聴くを得ん。

 

 

「自己陶冶(とうや)」

 

そもそも人格の完成は人類当然の責務にして、ただ一途(いちずに自己を陶冶することによってのみその目的を達成す。

しかも自己陶冶の力は 他面にのみ存在するものにあらず、まことや昭(しよう)として自己生命に内在す。

さればわれ人ともに より良き優れし人生に活きんには、先ずこの尊厳なる生命内在の力を発現せしむるに如(し)かず。

而(しこう)してこの力こそは、自己の心境を正しく 怠らず清く払式(ふっしき)することによってのみ その全能を発揮す。

先哲既に叫んでいわずや。「新しき計画の成就はただ不屈不撓(とう)の一心にあり」と。

かるが故に心に心して常に心に、気高き理想と高級なる想像とを強烈に抱かしめよ。

そはとりもなおさず 心境払式に対する唯一つの手段なればなり。

さらばひたむきにただ想え、気高く強く一筋に。

よしや かりに人生行路の中途 滔(とう)々たる運命の濁流になげこまるるとも、また不幸病魔の檎(とりこ)となることありとも、夢にも悶ゆる勿れ 怖るる勿れ。

宇宙の昭々たる摂理は、万象を恒に流転す。

されば今日の禍(わざわ)いも、やがてまた明日の幸いを瑞祥するの兆(きざし)たらん。

さなきだにただ一心に心の力を信念精進せば、わが霊に宿る巨神は その偉力を振い天の摂理に順応し、自己心中の悪魔も 妖怪も、否一切の汚れしものをその膝下(ひざもと)に跪(ひざまず)かせ、われらを正(しょう)念の彼岸に導かん。

かくして人生を虐(しい)たげ人生を悩ます人間世界の 煩悶と苦患(くげん)は、立ちどころに消滅離散し、われらの世界はここに一新され、燐として輝き溌剌として生気躍動する尊貴至上の人生顕現せん。

 

 

 

真理行修誦句(瞑想篇)

 

「自己本来内省の悟」

 

そもや人の生命の本来は、純一無雑なる「霊」という気体である。

然も その霊なる気体こそは 尊厳なるかな、宇宙創造の根本主体たる宇宙霊という先天の一気の直接分派である。多くいうまでもなく宇宙霊なるものは絶対の実在である。

従ってその分派を直接収受せし人間の生命の本来は、また必然絶対であるべきである。

されば その絶対なる人間の生命に、理由なくして何すれぞ、悲しみ苦しみ 或は怖れというが如き忌(い)まわしきものが、妄(みだ)りに襲いかかって来る筈がない。

何故なれば そうしたものは 真理の上より厳格に論断すれば、何れも人間の心の中に生じる相対的仮相現象であるからである。

そもそも相対的なるものは、絶対的のものに断然敵することの出来ないのが厳粛なる宇宙真理である。

今や吾は いみじくもこの真理を悟り、同時にこの悟りを厳そかに信念する。

従って私の心は 如何なる場合にも、恒にその霊を思い その霊を考え、ひたすらに「霊」を本位として人生に活き、絶対的なる宇宙霊と同化する尊さを心がける。

かるが故に 私の心の中には、最早一切の邪悪や 弱さや 卑(いや)しさを 思考するというが如き消極的なるものは、何としても燃え上がることを許さない。

そしてただ 積極的の思考のみを、暗夜を照らす炬火(きょか)の如く、繚乱(りょうらん)として吾が心の中に輝かそう。

 

 

「正しき活き方の自覚」

 

吾は今正に 宇宙霊の叡智と確実に同化し得る秘訣を知り得た。

それは先ず自己の人生を正しく完成するに必要とする、最善にして最上のものを選び出すことに、日々十二分に注意を深くすることを吾が心に命ずることである。

そして同時に私はその選び出した事柄の現実の成就に対して、勇敢に努力する信念をもつことである。

私はもう境遇や人を怖れない。

私は立派な自己の運命の主人(あるじ)である。

従って私の心は、私の環境からの 何ものにも脅(おびや)かされない。

否 私の心は常に、私の人生のためによりよい環境を作る事のみを正しく思考する。

それは絶対の力を有(も)つ宇宙霊が、私の心をして何事をも積極的に考え得るようにと、頼もしい意思の力なるものを、私の生命の中に与えて居て下されて居るからである。

そもや意思の力なるものは、宛然(えんぜん)鉄を引きつける磁石の如く人の活きるのに必要なる一切を、勉めて吾に引きよせてくれるのである。

今やこの真理を自覚せる吾は、最早昨日までの自分でない。

吾はまさに一息毎に、わが生命の中に躍動する微妙なる宇宙霊の力を感じる。

従って私は、この最高真理の啓示を受けた幸福の実行者としての 正しい資格を発揮するために、吾が心をして 如何なる時にも 敢然と勇み立たせて活きて行こう。

 

 

「境遇改善の誦句」

 

そも人の境遇は人それ自身これを作る。

されば 日日の自己の人生はまた 吾自身の作るところに従う。

かるが故に今日一日、どんな場合にも私は、先ず私の人生の一切を祝福し、その栄光と吉祥とに感謝する心持を確実にもとう。

今 私の活きつつ在る処、そは私の人生の在る処である。

そして私の活きつつ在る処の環境を包む雰囲気は、その一切を私の積極的思考の反映を以て、悉(ことごと)く勢いのよい溌剌たるものにしよう。

私の心の中には、かりそめにも 煩悶とか 恐怖とか または悲しみ怒りという様な、価値なき 思考は 漣(さざなみ)すらも立たせまい。

私は信念する、私の人生は常に成功と繁栄の雰囲気で包まれて居るということを。

私は 私の思考並に私の言語が、私に近づく者のすべての悉くに、欣びとたのしみえを与えるよう心がけよう。

 

 

「安心立命への誦句」

 

およそ 現象の世界に その生命を生かしつつあるものは、何れもすべてが「見えざる実在の力」に依って、その命を 保たれて居るのである。

しかもこの「見えざる実在の力」こそは、世の人々のいう「神」又は「仏」にして、またわが天風哲学の称する「宇宙霊」なり。

而(しこう)して、人にして若しこの真理に正しく目醒めなばその人生は、刹那直ちに堅固なる礎の上に屹然(きつぜん)として立てる古城の如き、豪壮なる強さをもつに至らん。

何とならば かかる自覚こそは、人の命の本体である尊い「霊魂」を、万物一切の根元をなす宇宙霊と、確実に結びつけることになるがためである。

宇宙霊なるものは、誠と愛の満ち満ちたる絶対調和の精気である。

従ってこの信念が 確固不抜のものとなり得なば、わが命は 求めずとても、愛と誠と調和という霊妙なる雰囲気の中に活きることとなり、期せずして愛と誠と調和という聖なる精気は、わが命の隅々までに漲(みなぎ)り溢れ来らん。

かくして 一切の不純 一切の邪悪 一切の弱さと卑しさは、この聖なる気の流れで洗い清められる。

今 私の心は 尊く強く正しく清らかにして、即ち絶対に積極である。

従って 人の世に対する「不安」「恐怖」などという、人世を価値なくするが如き心持はわが心の中に微塵(みじん)だにない。

更にまた人の運命を毀(こぼ)ち、人の命を傷ける「怒り」又は「憎(にく)みや悪口(あっこう)」というが如き悪魔の息吹(いぶき)は、堅く閉されし わが心の黒鉄(くろがね)の扉を開く能(あた)わず。

そして わが人生は、事あるも事無き日と同じく、洋々として和やかなること さながら春の海の如くあらん。

 

 

「神人冥合への誦句」

 

およそ 人としての真の価値は、ただ偏(ひと)えにその心の力の程度に従う。

しかも この心の力なるものは、永遠に 創造的に 万象を化成する 宇宙霊を、その源泉とせるものである。

従って 吾等かりそめにも より優れ より尊からんことを希(こいねが)わば、須(すべか)らく常にこの絶大無限の宇宙霊の力を 能(あた)う限りわが生命の中へ 量(はか)多く受入れることを、ひたすら心がけざるべからず。

まことや この力たるものこそは、宇宙本体たる 宇宙霊より湧き出づる ヴリルの噴泉にして、また人の命の価値の本源である。

そして その中に あらゆる芸術 一切の創作並びに発見の動機と端緒(たんしょ)とが、秘め隠されて居るのである。

吾は今 吾が心の我執の解脱が 居ながらにして 宇宙本体と合流することであり、またこの霊妙なるヴリルを分量多くわが生命に享け入れ得る秘訣であることを知った。

そして 恒にこの秘訣を行えば、宇宙霊の力は即座直ちにわが生命に注ぎ入れられること そは必然の真理である。

されば 吾は常に心して わが心の我執を払拭(ふっしき)し、わが心の一切を優れし形に於て積極化し、その積極化されし心を以て一切を又積極化せば、茲(ここ)に期せずして 溌剌 颯爽たる至幸至福の人生を顕現することを得ん。

 

 

「入聖開悟の誦句」

 

吾は今 わが心の中に、この世のすべてのものを正しく理解し得る、偉大なる「光り」あるものが宿り居ることを 厳かに信ずる。

この「光り」こそは この世に在る唯(ただ)一つの絶対たる宇宙霊が、わが霊魂の中に与え給いし慈悲の雫(しづく)である。

又この「光り」こそは わが命と宇宙霊とを、確実に結びつくるくろがねの鎖である。と同時に 更に真理の扉を開く秘密の符牒を知る金鍵(きんけん)である。

そもやこの「光り」が、わが心の中に燦然(さんぜん)として輝かば、尊しや 宇宙霊は 世の人々のいう「神の啓示」なるものを、量多くわれに与えたまう。

そして その能(あた)わざるなきの力を以て、迷いに眩(くら)むわれ等の心の眼(まなこ)を正しく開かせたもう。

さらば 吾は今 この厳そかなる法則を、虔(つつま)しやかに行わんがために、心の歩みを 宇宙霊に従わせて、ひたすらに真と善と美のみの上に運ばせよう。常に入聖指南の「弁別(べんべつ)」の苔(しもと)を手にして・・・・

そしてひたむきに この「光り」の発現に努めよう。

さすればこの妙なる「光り」は、やがてわが心の中に美しき悟りの花を咲かせ、その稔(みの)りを豊かにして、わが命は 常に おののく如き歓びに満たされん。

 

 

「幸福への誦句」

 

それ人としてこの世に活きる時、その最も賢明なる考え方は、すべて人間の身の上に起った事柄は、皆自己自身が 知らず識らずの間に その原因を作ったものであると考えて、これを正しく処理して活きる事である。

現実の人の世は決して夢の如くに、何の準備も将(はた)又理想をももつ事なしに活きるべきものではない。

要するに 常に輝かしい向上への希望を心に抱きて、愛と誠と平和という気(け)高い聖なる感情で活きるべしである。

今や私は そうした人生への最も階級の高い悟りを、わが心に得た。

従って 私は今後 自己の人生に対する真の責務を果さんには、須(すべか)らく 自己の生命の中の最高のもの・・・・

即ち 霊性の許諾(きょだく)するもののみを実行することに、ひたむきに心がけよう。

そして この崇高なる理解を深く尊敬し、同時に 現実の実行を徹底せしめることを自己の努力の中心としよう。

否 そうすることが、人生の一切を 最も正しく向上せしむることであり、また進歩を確実にすることになるということを、明瞭に合点するからである。

そもや 無限と相結ぼって、絶対に亡(ほろ)ぶることなき唯一のものは人の霊魂である。

誠!!永遠の実在である宇宙霊の分派であるところの人の霊魂は、吾等の努力の行修に拠って研(と)ぎ上げたる積極的の心を通じて、宇宙霊の力を より多く享受(きょうじゅ)する毎に赫(かが)やかしくその光りを増す。

ましてやその心に 更に愛と誠という、至純至聖のものを満たす時、妙なるかな その生命の全体は、期せずして立ち所に 神格化し、求めずとても至幸至福の人生を顕現するを得る。

されば この真理に則(のっと)って活きる私は、より一層 わが心の中に、何ものをも憎まざる 愛の情を豊かにすることに専念しよう。特に特に昼の光りが 濃紫(こむらさき)の几帳(とばり)のかげに、その姿を隠す「夜」ともならば、一(ひと)しおにこの心がけの徹底にひたぶる精進を為そう。そは夜の世界こそはわが生命が、宇宙霊の絶大なる「力」と結び合おうとする尊い時であると同時に、心なく生くる人を向下へと堕(お)とす悪魔の跳梁(ちょうりょう)する 心許すまじき時なれば・・・・・。

 

 

「信念と奇跡」

 

吾は今わが心の奥深くに奇跡を行い得る 神秘の力の潜在することを悟り得た。そして人はこの力をより良く活用することにより、人の値打が決定されることをも悟り得た。

そして今私はこの尊い現実を悟って、わがいのちの中に輝く尊い光りを自覚する。

同時に過去の一切の無価値より解脱(げだつ)して、格調高き人生へと、今まさによみがえる感激とよろこびにわが心は炎(ほのお)と燃えたつ。

そもや自己を作るものは 自己である。そして自己を正しく作るには、何をおいても 自己を正しく律することである。

しかも自己を正しく律せんと欲せば、ただ偏に信念を基盤とする連想の観念を、常住わが心の中に厳そかに確保せざるべからず。

かるが故に 今日からは、如何なる時にもこの心的態度を不断のものとして、わがいのちを正しく作る自律基盤の力を、かりそめにも緩(ゆる)めざらんことを 虔(つつま)しやかに己れの心としよう。

 

 

「値いある活き方への悟」

 

それ慮(おもんばか)るに吾等人間とは、宇宙進化を助成するため、この現象世界に生れ出でし貴重なる存在なり。

まことや!!この理解を正しくもち、この消息を正しく信じて 人生を活き行くものには、蓋(けだ)しその生命は 洵(まこと)に尽くることなく、又点滅することなき永遠不断の実在を続くることを得ん。

吾は今 この尊い真理を悟り得た。従って如何なる場合 如何なる事にも、私は私の人生の尊厳を断じて汚すまい また泥ぬるまい。

そして わが日々の生活を常に光明あらしめよう。

そも人生とは 人それ自身が作るものである。されば自分はこの世に在る人の中でも、ほんとうに善良で ほんとうに積極的で、ほんとうに完成された人間になることに努力しよう。

そして自分が自分の人生生活の中で行う事柄は、出来るだけ 自己を本位としない様、常に大(おおい)なる勇気と 大なる決心とで努力しよう。同時にいつも軽率でなく いつも慎重で、正しい事以外には心を振り向けまい。

そうだ!!どんな場合にも自分の現在の生活を心から感謝して楽しむのだ。

否それを現実化するために、常に 自分の生活の中から、「活きることへの情味」を見出すことに努めよう。

かくして見出されたる情味こそは、生活に疲れた命へのオアシスである。と同時に 生活に悩む心への醍醐味(だいごみ)である。

私は須(すべか)らくこの言葉を愛し この行いを讃美する。

さすれば宇宙霊は このよろこびに勇む心とこの真理に活きる行為に、絶えずよりよき向上という値い高きものを与え、限りなく恵み惜しみ給わざらん。

さらばひたすらに努めんかな 行わんかなを厳そかにわが心に、勇み躍りつ鞭(むち)うち命ずる。

 

 出典:真理行修誦句集(緑)